「トヨダヒトシ スライド・ショー」のトークゲストの一人、天野太郎さんが、ご自身が連載中の「ヨコハマ創造界隈」の「VIA YOKOHAMA」に、トヨダヒトシに対する論考を掲載された。間近に迫った札幌での「トヨダヒトシ スライド・ショー」を前に、是非天野論考に触れていただきたい。

天野はここで、「無関心性:カントによる美」と題された論考で、「普遍的妥当性を伴う無関心性」に美の契機のひとつを見るカントの思考と、思想家今村仁司による「法と知性と貨幣の三つのすべては、個人的特徴に対する無関心によって特徴づけられる」という指摘への、氏の関心を述べながら、「現代美術を巡っての貨幣問題」の具体的な例として、トヨダヒトシと片山真理いう写真家、アーティストの、それぞれの作品制作あるいはその発表形式ついて言及している。

天野の引用している「新美術新聞」掲載の美術評論の光田ゆりによるトヨダ写真への指摘のひとつは「大切なものは保有できない」ということだ。この「事態=事」を、天野は「モノ自体への欲望とは異なる次元の美的経験を付与する」ことだと言う。ここで私見だが、トヨダヒトシは、自作品を、貨幣によって譲渡され所有されることを拒否しつつ、その拒絶の拠点として、わたし(=トヨダヒトシ)のみによって所有し使用するのだという点を確認しておきたい。これはあるいは、私的所有ではない無差別な人々による共有、という事態への通路かもしれない。ここで当然ながら「わたし」が問われるだろう。

最後に、トヨダヒトシと片山真理二人の行為に「自己への関心」と「無関心性を巡る美学的言説」への抵抗を読み取る天野論考は、次回の「VIA YOKOHAMA」において、カントの「無関心性」への批判者ニーチェへ、そして「作品を巡る表現者と受容者における無関心性」へと進むことが予告されている。

昨日、トヨダヒトシさんから、ニューヨークから東京を経て、青森に向かう事の連絡が来ている。トヨダさん、ようこそ。