瀬川拓郎さんの『アイヌ・エコシステムの考古学』は、極めて興味ぶかい書物だ。アイヌ文化を縄文文化の「不変」で「純粋」な継承者、あるいは環境保護者というイメージで描くのではなく、交易を柱とした異文化との交流の中で、みずからの社会の持続を掛けた、積極的で主体的な変容の結果だと見る。そこで描かれている北海道から東北、北陸にまでいたる日本列島北部さらには遥かオホーツク海の彼方まで含めた広大な地域を舞台に、アイヌ文化成立までの、諸文化(続縄文文化、弥生文化、土師器文化、オホーツク文化などなど)が、互いに緊張関係を持ちつつ、影響しあい、生成と融合、衝突と変容を繰り返す様は、実にダイナミックだ。
注目されることのひとつは、縄文文化や続縄文文化の遺跡が、例えば石狩川水系でいえば、その流域一帯に分布しているのに比べ、擦文文化の集落は極めて限られた地域に分布するということだ。それは、交易を前提とした、鮭漁に偏向した生業のあり方によるのだが、「ミズノチズ」で撮影対象地域とした、旧琴似川流域はまさにその集落の密集地にあたる。しかし、松浦武四郎の記録にもこの地域にそれほどのアイヌ文化の集落があったという記述はないと思うが、それは何故だろう。和人による簒奪が、集落解体の危機にさらされるまでに、この地域のアイヌ社会にダメージを与えていたということだろうか。

そんなことを考えつつ久しぶりに北海道大学の遺跡保存庭園にいってみると、オオウバユリやフキなどすべてきれいに刈り取られていた。春先にはあったアイヌの祭壇も片付けられていた。

話が飛びますが、瀬川氏は著書のあとがきで、デボラ・B・ローズさんの『生命の大地』にふれ、アボリジニが環境保護者であったか否かという現代からの問いかけは、無益であるというローズの指摘に同調しつつ、そういった問いかけが、「学ぶべきアイヌの世界観を無力化してしまうことになるだろう」と主張する。これは極めて重大な問題提起であり、今後も意識し続けたいと思う。

またまた、話が飛びますが、デボラ・B・ローズ著『生命の大地』は保苅実さんの翻訳だ。保苅実さんは、『ラディカル・オーラル・ヒストリー』という実に美しい書物を私たちに残し、(以前、ぼさくでも少しふれましたが)駆け去るように旅立った人です。ここでまた、再開できてとてもうれしい。『生命の大地』を彼との会話としても読みたいと思う。

最後に、デボラ・B・ローズ著、保苅実訳『生命の大地』から、
ピルバラというカントリーでガマル語を話す男性、ワリビラによってつくられた「ブルブル鳥」という詩歌を紹介します。

ブルブルがいるぞ
小川にそって、お前の足跡は北の岸辺に
ブルブルがいるぞ
ここは「いつもそこに水がある」
わたしの心は揺れ、そして安らかでもある

「いつもそこに水がある」とは、場所の描写でもあり地名でもあります。そしてこの詩歌はこの場所をしめす地図であり、さらに詩人と場が結びついた存在のありさまを示す地図でもあります。(デボラ・B・ローズ)