2月28日に「もうひとつの(サイト)眺め」展のトークを行いました。
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多くの方々に、貴重な土曜日の午後を犠牲にして来ていただき感謝しております。ですが、下手なトークと時間の制限で、十分に言うべきことを伝えきれませんでした。それで、混乱した稚拙な思考ではありますが、文章にまとめることにします。
これまた、下手な文ですが、お付き合いください。

まず、この展覧会のタイトルは「もうひとつの(サイト)眺め」です。ですので、サイト(場所)にかんすることから述べたいと思います。

 私が明確にシリーズ化して制作した始めての作品は「地名」でした。それは場所を指し示すという行為としての写真だと認識しています。2011年にスタートした「自然史」でもそれは反復されています。しかし、「福島」を撮影することによってそれは変化します。「福島」の事態は、さまざまな行為や時間の蓄積としての場所を指し示すことを無効化するように見えるからです。
 まず、福島ので、帰還困難区域、避難指示解除準備区域、居住制限区域という区分は、放射性物質の飛散による放射線量に基づいて決められているのですが、この事態は、各々の場所の固有性には何ら関係なく発生しています。放射線による汚染は、場所を選ぶわけではない。場所が、生きられた空間、歴史の累積したところだとすると、放射線はそれらの連続性を切断してしまうように見えます。それは場所が非場所化したということではなく、場所が場所のままで切断されたとでも言うべきでしょうか。福島にはその切断面が露呈している。問題になるのは、そこに設けられたエリアの区分です。ですので、福島では、地名の代わりにGPSによる数値でその場所を示しました。ただ、場所を示すことがまったく無効であるとは思いません。鵜飼哲さんは、フクシマという名は被害を受けた地域の全体を指し示すには十分ではないこと、この東北が中央政権から受けてきた過度の搾取を考慮しなければならないことを指摘しています。
 写真には、場所を指し示す機能と、非・場所を現前させる機能の両方があったと思います。アメリカ写真の起源の一つとされる西部開拓写真は、名付けられた、具体的な、個別の場所を指し示していたと同時に、未知のフロンティアという幾分抽象的な空間を指し示してもいたと思われます。1970年代から写真表現の重要なテーマのひとつは「非・場所」を対象としていましたが、田中純さんは、建築家モラレス・ルビオーによって提出された「非・場所」の概念としての「テラン・ヴアーグ(terrain vague=空き地)」に言及しつつ、「事実としては効率的に利用可能な空き地にすぎない場所が、写真表象においてテラン・ヴァーグへと変容する」。そして「パリがアジェによって、犯罪現場になったように、これこそが場所の非場所化にほかならない」と指摘しています。
 「空間」と別の「空間」の同質性と差異を見いだすこと。アイヌ文化が成立し、それを作り上げた人たちが活動した場所、石炭産業の勃興によって成立した、そこで働く人たちの生活の場所、そして、「福島」の「外」なのだと錯覚している、現在の私たちの住んでいる場所と、「福島」という場所の同質性と、にもかかわらず、どうにもならない両者の決定的な差異を同時に指し示すこと。それが「自然史」の作業だと思います。当然ながらその困難さに、呆然ともしますが、それでも写真という万人に開かれた装置は、だれが使っても、未だ何かを示しうる可能性があります。

次に、もう一つのキー概念である「ポスト・メディウム」に関わることを述べます。

 「ポスト・メディウム」を、クラウスから離れて、デジタル以降のメディア状況を捉えるための概念だとすると、そこに切断を見るか、ある種の地続きを見るかといった大問題への返答は私の任を遥かに越えているということを前提として述べておきます。
 私の作業では、写真と場所(あるいは空間)とのかかわりが当然ながら重要です。ただそこには、「指標論」あるいは「かつて・そこに・あった」にのみ、「写真と現実とのつながりを保証」を求めるのではなく、別の思考が必要なのかもしれません。その一つの可能性として、ダネーの遺作となった『不屈の精神』(1994年)を頼りに、彼の映画批評の基点を探ってみます。
 『不屈の精神』でダネーは、カイエ・デュ・シネマに発表されたジャック・リヴェットが、ジッロ・ポンテコルヴォが監督をした『カポ(ゼロ地帯)』への、「卑劣さについて」と題された批評こそが、自分の批評の原点だといいます。リヴェットは、ポンテコルヴォの採用したカメラのトラヴェリングのみで『カポ』を批判するのですが、この批評のスタンスには、二つの注目点があると思われます。その一つは、現実を記録しているわけではない「フィクションとしての映画」が、世界(現実)とつながっているということ。それは世界や時代を反映しているなどということではない。映画を作るときに、その映画への向かい方は、世界に向かうことと同等なのです。もう一つは、そこには(作家の)内的な感情など微塵も問題ではなく、あくまで「唯物論的」に、「カメラの動き」のみが批評の対象となっていることだと思われます。ダネーやリヴェットの批評から導かれることは、映像(写真や映画、映像作品)と現実(世界)との関わりは、それがドキュメンタリーであるかないかではなく、写されている対象(被写体)の現実でもないのです。繰り返しますが、リヴェットやダネーの、カメラワークに世界への態度を読むことを批評の基盤に置くということは、唯物論的だと思います。ここでいう唯物論は、作者の内的な心性とか、そこに込められたメッセージなどではなく、写真画像に現れた目に見えることのみを拾い上げて、写真を読む態度、と解釈していただきたい。であれば、撮影主体が、自分の撮影した写真を事後的に見るということと鑑賞者が見るということは、ほとんど同じ位置にあると考えられます。この映像に現れたことに、「世界への態度」を読むという態度は、映画(写真)という記号がインデックスであるということと違う次元での、現実と映像(画像)との関係を示すのかもしれません。
 このような言い方も、すでに楽観的に過ぎるのかもしれません。現在の映像のエコノミーは、ドゥルーズの言う「すべての映像がたった一つの映像を送り届けてくる」事態が遍在化しているかのようです。あらゆる映像が、あるひとつのシステムの内部でしか存在できないとすれば、テクノロジーがいかに多様な状況を作ったように見えて、個々人がそれぞれに自分のものを世界に向けて発信出来る状況があるとしても、事態は悪くなる一方と考えざるを得ません。ダネーにしても、20数年も以前の彼の遺作に、すでにそういったペシムズムが溢れています。ただ、であるにもかかわらず、ダネーは最初の批評のスタンスを堅持します。
 ダネーが例としてあげている溝口健二の『雨月物語』における、主人公源十朗の妻、岩木が惨殺されるシーン、ここにダネーは、溝口の、戦争、暴力、死といった絶対的なものへの畏れを、つまり、世界への態度を読み取るのです。絶対的なものを前にして、畏れを態度として示さない映像に、私たちは日々曝されています。そして、デジタル化した写真の(映画も)インデックス性が疑問視されてもいるいま、もう一度、ダネーやリヴェット、レイモン・ベルールといった批評家、そしてジャン・リュック・ゴダールも含め、「映画への態度」ということを、写真に置き換えて考えてみたいと思います。
 写真における「インデックス性」を簡単に消去することは、大事なものがこぼれ落ちると、『イメージ、それでもなお』を書いたジョルジュ・ディディ=ユベルマンがどこかで述べています。これは写真のインデックス性の擁護と考えていいのでしょうが、何か別のものの擁護のための言葉とも考えられるのです。