8月11日に書肆吉成の吉成さん企画による写真展を行います。同時にアフンルパルex1で「露口特集」を発行します。吉成さん本当にどうもありがとう。アフンルパルex1にテキストを書いていただいた管啓次郎さん、倉石信乃さん、谷口雅春さん、宇野澤昌樹さん、どうもありがとうございます。倉石さんと宇野澤さん(宇野澤さんの場合は推測です。違っていたらごめんなさい)は写真展にもはるばる来ていただけます。管さんはご自身のブログMON PAYS NATALで、「地名」や写真展について書いていただきました。重ねて深謝もうします。

写真展の案内を届けた友人、コピーライターの三浦清隆さんから、北海道大学の大平具彦さんの論文「TZARAKAWA試論序説」をお借りして拝読しました。TZARAKAWAとはトリスタン・ツァラと荒川修作(アラカワ)からとった大平さんの造語であり、その論文の副題は-ツァラ、アラカワにおける「私たち」という場-というもので、
そこでの大きなテーマは、
「(最近の脳研究の知見によれば)脳は局所化されているように見えるが、働きそのものとしては環境的実在である。そしてツァラの言語革命もアラカワの「建築的身体」というコンセプトも、一見強固に見える「私」を解体し、その「私」を外部、環境へと外在化してゆくプロセスの実践である」ということです。これはつたない私(この場合露口です)の脳による解釈なので誤読は平にお許しください。

詩の世界には疎い私ですが、写真を撮っていると、強固に見える「私」がいかに曖昧なものかよく感じます。写真は写すというより写ってしまうのです。これは写真をやるものが日常的に感じていることだと思います(もしかして私だけかもしれませんが)。そして写真は「私」の目など簡単に、心理なども簡単に裏切ります。裏切るというより無関係といった方が適切でしょうか。ここでは、強固だと思っていた「私」などはかなく解体してしまいます。そのことが『「私」の、外部への「外在化」』という大テーマとどう関わりがあるのか、私などには分かりませし、安易な短絡は避けるべきでしょう。そして、ツァラやアラカワのいう「私」の「外在化」には桁違いの強度を要求される実践であるということも。
もう一つ、よく似た感じを受けたテキストが、オーストラリアの研究者、デボラ・B・ローズの『生命の大地』という本です。この本は以前にも「ぼさく」ですこし触れましたが、「私」の、外部への「外在化」ということと、デボラ・B・ローズが紹介するアボリジニの哲学とになにか共通するものがある気がします。ローズは実に分かりやすい言葉で書いて(くどいようですが翻訳は保苅実です)くれているので、私にもすぐ読み終えられました。

最後に写真展の宣伝を

アフンルパル通信ex1露口啓二写真展
2008年8月11日(月)-8月18日(月)
060-0033札幌市中央区北3条東5丁目5岩佐ビル2F
TEL011-281-5805(フレメン写真製作所)

◆オープニングイベント
2008年8月11日 18:30スタート
060-0033札幌市中央区北3条東5丁目5岩佐ビル2F
▼LIVE
 マリリア(ヴォーカリスト)
▼対談
 露口啓二×倉石信乃
▼その他
 軽飲食つき
▼会費
 カンパ制

◆アフンルパル通信ex.1「特集:露口啓二」発売
・オリジナルプリントサイン入り限定版150部(三種類各50部)
・最新写真作品四葉掲載
・執筆:管啓次郎・倉石信乃・谷口雅春・宇野澤昌樹
・装幀:佐藤守功デザイン室
B3判無綴じ四つ折丁
限定版イベント特別価格1,000円