福島報告2
これまでの取材は、東電第一原発の事故に伴う周辺の地域に起こった事態を、BoundaryとExteriorとして撮影してきました。
12日の南博物館訪問を皮切りに始まった今回の福島取材は若干の違いを意識しています。今回は4年前の大震災で、範囲を拡げ、それぞれの地域に生じた事態へとシフトしています。
昨年からの取材でサポートを引き受けていただき、常に行動を共にしてくれた若き映像作家岩崎孝正さんは、相馬市磯部の妙楽寺を生家とし、東北芸術工芸大大学院で映像制作を学ぶ院生であり、3.11以後に自らや友人たち、育った地域が蒙った事態を映像で捉えようとしています。
ご尊父が住職を努める妙楽寺は平坦な海岸沿いの丘陵に位置し、かろうじて津波から逃れています。ですが、目の前に広がる平野部の集落はほとんど消滅し、丘陵沿いに民家が残るのみです。
このすぐ下の民家は津波の被害を被り、そこに遺体が漂着したそうです。中央左にぽつんとあるのは慰霊碑
この場所で、避難してきた人たちが津波にのまれたそうです。津波の大きさは人々の想像をはるかに越えていたのです。
ここまではゲートボールや釣りに興じる人も見えたが、ここをしばらく南下すると居住制限区域に入ります。
翌日、キュレーターの四方幸子さんと合流し浪江町に
静かに水をたたえるプールの先には、津波で消滅した地域が広がる。ここも昨年よりはるかに瓦礫や打ち上げられた船、流され破損した車両などが片付けられています。
昨年7月まで通行できなかった国道6号線が通行のみ認められるようになった。いったい何が変わったのだろうか。
国道6号線で東電第一原発の南側に位置する富岡町に入る。
昨年まで残っていた富岡駅が片付けられ、慰霊碑のみが残されています。
慰霊碑の背後の黒い俵は除染作業で発生した廃棄物、おびただしい量の廃棄物が延々と並べられています。
坂の上から駅の方角を見た光景。背後に積み上げられた黒いものは除染廃棄物です。
相馬市磯部から富岡町まで、直線距離で50kmほどの移動でしかないが、そのわずかな距離のあいだに、複雑な空間が現れる。写真はこの異質な空間の連なりにどう対処できるだろうか。