落石の植生
落石岬は、根室市の南方、オホーツク海に属する根室湾の反対方向、北太平洋に斧の形で突き出田半島の尖端にあります。ここを案内してくれた美術家の中村絵美さんによれば、宗谷から知床までの北海道の沿岸に沿って南下する宗谷暖流と千島列島に沿って南下する親潮(これは寒流)の影響が岬周辺でぶつかり、不思議な植生を形成しています。しかも、岬一帯は、放牧場として人の手が入り、さらにそれが放置されることで、植生は一層複雑さを増しているようです。
北海道は、明治以降の開拓の歴史のなかで、先住民族とは異なった原理で自然に相対し、風景を大きく変貌させたわけですが、わずかながらも原風景(あるいは前風景と言うべきでしょうか)とでもいえる植生、景観を、部分的に残しています。
これから、中村さんの案内でその植生の変化を探訪します。
岬の中程で車を降り、まず、落石無線電信局跡に。
落石無線電信局は、明治41年に開局した通信施設で、昭和4年には、ここからドイツの世界一周飛行船・ツェッペリン号と交信したそうです。
これが「落石無線電信局」
このあたりは、かつて主に馬の放牧が行なわれていて、いまはクマザサに覆われています。
これらの笹は、この地が泥炭地なので、充分に根を伸ばすことができず、自分が落とした葉によってやがて窒息し、枯れていきます(つまり、落ち葉が分解されないということですね)。
そのあとには谷地坊主が繁殖します。
谷地坊主のあとは茅、そして湿原の乾いた部分にアカエゾマツが成長します。
わずかばかりのアカエゾマツの林を抜けると再び、谷地坊主と笹原。
親潮が流れる北太平洋
この親潮が、このあたりにツンドラ気候の南限の植生をつくります。
開拓される前の別海周辺の風景はこんなでしょうか。
これが今の別海の典型的な風景です。
沖に見える島は、昆布漁で人間とともに働いていた馬が、人が去った後も、野生化して生きているユルリ島です。
ここまで見てきて、いわゆる「自然」と「人為」の二項で分類できるものはほとんどないということが実感できます。
このあたりは6月に行っても寒いです。これが6月の落石岬です。
高山植物のエゾコザクラ
北海道の湿原ではおなじみの水芭蕉
ちょっと寒かったので、少し遠いですが、暖かいところに行きましょう。知床の向こう側、ウナベツ岳山麓にある、お馴染みのメーメーベーカリーです(実際に行ったのは翌日の11月21日で、前日までなかった雪が積もりました)。
ここは、今回の倉石信乃さんも含め、来た人はみんな好きになる、あったかで不思議な場所です。