アサヒカメラ11月号掲載の「今日の写真2009」は、極めて重要な問題が討議されている。毎回レギュラーとして、批評家の倉石信乃さん、写真家のホンマタカシさんにゲストを加えて行われるこの鼎談の今回のゲストは、グラフィックデザイナーの鈴木一誌さん。(以下敬称略)

三人により森山大道を巡って行われる議論は緊張感に満ち、鋭い強度をもつ問題が提出されている。私のへたな要約などは明晰な判断を過たせそうなので、ぜひ全文をお読みすることをお進めする。倉石信乃によるフォトグラファーズ・ギャラリー・プレスNo.8と北島敬三の写真集「THE JOY OF PORTRAITS」での解説「顔の宛名-北島敬三<PORTRAITS>」の一説は、先行者批判に聞こえる、という鈴木一誌の指摘に対し、倉石は、「この時代に達成されたことと、そこで足りなかったものを後から来た者がそれを指摘するのは、歴史に対する一つの敬意」であり、その個所は戦前から続いている日本の写真の一般的な状況を述べた部分だと応じている。
鼎談は、ほかにもさまざまな議論がなされているが、東京都写真美術館での北島敬三写真展「北島敬三1975-1991」にも触れている。不遜と誤信を恐れずに私見を言えば、「PORTRAITS」や「PLACE」を展開中の北島がそれらの作品を展示せず、何故あえて過去の「スナップ」写真を展示したかを愚考すれば、北島自身さえも含めた「先行者」を対象化する作業は必然のように思える。北島はここで、強烈な意志で自己を解体、再構築しようとしているように見える。倉石論文の(先行者への)批判とも読める個所は、この北島の写真行為への、同伴的解析ではないか。
この鼎談の提示している問題は、鋭く、重い。