男木島で村山悟郎さんの展示会場に行ってきました。

古い民家の床の間や壁に設置された板に描かれた不思議な文様、まずは、その気が遠くなるような緻密な手作業に、圧倒されながら引き込まれてしまいます。

生命科学や情報工学の、先端の知見やシステムを操作しながら制作された村山作品に言及する術を、私は持ちませんが、住まいと一体化したその展示の感想を、自分の作業とのわずかにあると思える接点から述べておきます。

先に、「圧倒される」と書きましたが、その展示空間・民家には、住んでみたいと思わせる空気に満たされています。生命の原初的な生成を思わせる村山作品と、人に住まうることで生成した家というものとが、調和でもなく、均衡でもなく、もちろん対立などではなく、和みや安息でもなく、違和をも含んだ心地いい緊張を感じさせてくれるように感じます。

この作品が、展示のための空間でなく、民家とのコラボレーションでなされていることは、重要だと思います。

窓から見える男木島の集落。

男木島は、高松港からフェリーでまずとなりの女木島まで20分、そこから20分、40分で行けます。

つまり、高松への通勤可能な距離にあります。

その集落は、隣の女木島とも違って、独特の構造を持っているように思います。

この集落も、当たり前ですが、生成されたものであることを感じます。

建築家やハウスメーカーや、諸々の職人たちの企図とは無縁に、人が住むことによって生成していく建築として「家」を見たいと思っている私には、村山作品が作り出す形象と生成した家との邂逅がもたらした空間との出会いは、形をなさないままであった私の思いに方向を指し示してくれる得難い体験でした。作品からもそうですが、この集落からも、天と地の狭間の、わずかな空間に住んでいる人間にとって、家とは何かという問いへの応答を聴き取れるように感じています。

会期中にもう一度行ってこようと思います。