沙流川へ
先日、久しぶりに沙流川の撮影に出かけた。
「ON_沙流川」の撮影をはじめて、もうすでに4年が経つ。沙流川と写真の共振を目指したこの写真行為を、一度中断しようと思う。離れてみて、いままで見えなかったことが見えてきたり、新たに感じることがあるかもしれない。とにかく次のことを始めなければ文字通り始まらない、時間も無いし。
沙流川の支流、仁世宇川の山道を走っているとき、道端の小さな水の流れる溝に子鹿を見かけた。頭上の茂みの中から鹿の鋭い鳴き声が聞こえる。多分、車に気付いて上の茂みに逃げた母鹿の声だろう。母鹿は必死に、しかし猛然と警報を発していた。子鹿はと言えば、すこしおびえた様子ではあったが、話しかけると水を呑んだりしている。思わず手を差し伸べて抱き上げたくなるが、止めておいた。撮影を終えて少し後に同じ場所を通り過ぎたが、子鹿はすでにいない。母鹿が連れて行ったのだろう。
子鹿との出会いを「恩寵」というのは言い過ぎかもしれない。しかし、沙流川最後の撮影行での出会いは、私には充分な「恩寵」だと思う。何かの行為に伴う「意図」や「意味」、それへの「没入」や「達成」、そこからの「恩寵」などは、私たち凡庸な人間の行為にも見いだせるのだと思いたい。
出合いと言えば、二風谷ダムの管理道路は「熊出没中」の看板とともにゲートが封鎖されていた。この奥で、フンを見かけたことはあるが、幸いカムイに出会うことはなかった。ゲート近くの岩のことを(あるいは台地全体のことか)二風谷ダム裁判で原告の一人である萱野茂氏は「ペウレプウッカ」というアイヌの聖地であることを主張した。閉鎖されていて近づけなかったが、4年間の撮影を許してもらったことのお礼を述べ、いずれの日かの再開を祈って「ON_沙流川」撮影の最後の行為とした。
サーバーの不調で、写真を掲載できない。しばらく文字のみでお許しを。