ICANOF第10回企画展『飢餓の國・飢餓村・字(あざ)飢餓の木 展』が開催された。まずは、ICANOF驚愕の10年の軌跡、その末端に加えていただいたことを、強く感謝申し上げます。

  第10回企画展にふさわしい凄まじい強度を持ったその内容は、詳しくはモレキュラー・シアターHPやモレキュラーマニアックスでも一覧できるが、ICANOFによって刊行され、以文社より全国発売される『飢餓の木2010』を、是非にもご覧いただきたい。

 10周年パーティーでは、ICANOFメンバーと八戸市民の皆様をはじめ、出品作家の方々、イベント、トーク参加の方々に加え、青森県美の高橋しげみさん、北島敬三さんをはじめとするPGの写真家たちともお会い出来、札幌からは谷口雅春さんも駆けつけた。

 幸運なことに、先立つ9月11日、札幌で詩人吉増剛造作のgozoCineの新作『石狩篇』が上映され、『飢餓の木2010展』で上映される『八戸-蟻塚』についての話をご本人吉増剛造さんからうかがう機会があった。『八戸-蟻塚』への鍵になる言葉をご本人からインプットされ機能不全の脳髄とともに、『石狩篇』に出会った鮮烈な衝撃をかかえたままで、「札幌」と「八戸」とを移動しつつずれを体感し、そこでgozoCine『八戸-蟻塚』にであった。それは「イスムス=地峡」の体験でもあるだろう。

 その「イスムス=地峡」の一方である札幌について、『飢餓の國・飢餓村・字飢餓の木展』のテーマである「飢餓の思考」を意識しつつ、愚考を記すことで、「イスムス=地峡」の一方、八戸の皆様への謝辞に替えたい。

  gozoCineの鏡花フィルムNo,4の、『インディア・ソング』が映しだされる液晶面に、雨が降り掛かるシーンがあるが、ICANOFキュレーターの豊島重之さんは降り掛かる雨粒を『キセキ』への寄稿文で、「コッ」という文字で表現している。同じく豊島さんが『二歩と二風のサーガ』で、また、今回の出品作家でもある倉石信乃さんが『北海道写真の前提』で、それぞれ論じている芝増上寺にあった「開拓使仮学校附属北海道土人教育所」、そこに38名のアイヌが留学させられるわけだが、そのひとりに、琴似又市という人物がいる。ご存知のようにアイヌ語のKot(こッ)は、窪み、窪地を意味し、コトニという地名はこのKot(こッ)からきている。コトニという地名は、本来開拓使本庁をはじめとする札幌の中心部の地名、あるいは川の名であった。この一帯には先住民の住居跡が数多く記録されている。札幌の中心部は、先住の人々の居住区でもあったわけだ。琴似又市も、このコトニの住民であった(谷本晃久論文参照)。谷本論文によれば彼は最終的に旭川の近文にまでの移転を余儀なくされている。琴似又市が本来拠っていた場所の川の漁撈は禁じられ、川そのものがいずれ消え去り、コトニという地名は、琴似屯田として別の場所の地名となる。サッポロは、本来の地名と、本来の居住地を別の場所に移し、川を消し去ることで札幌になった。

 このように、北海道の地名は、暴力的な力で、無理矢理表面の皮膚ずらして、そのずれをそのまま固定したようなところがある。地名はずれて、川が消え、「コッ(住居)」は、都市の下に隠されて見えなくなる。札幌とはそういった都市であり、それが北海道の風景の一つの基層になっているようだ。

 札幌を、北海道を歩く。(同じ足で)八戸を歩く。歩くことは(それは写真を撮ることでもあるが)、都市の下の、隠された窪みや、乾いてしまった、血管のような網状の川の、足の裏での触知につながるだろうか。それは写真を撮ることの根拠たり得るのだろうか。