網走に行くと必ず立ち寄るところが北海道立北方民族博物館です。
昨年2007年の11月にそこで「環北太平洋の環境と文化」と題された書物を購入しました。この本は博物館と網走市が協力して20年にわたり行ってきた国際シンポジウムの成果をまとめたものです。この本に掲載された諸論文には、こういった学術的な書物に、普段あまり接したことのない私にも、興味をそそられる項目が数多く見受けられます。その中の一つをご紹介いたします。
「物語のタペストリー-地図とナヴィゲーションにみるイヌイトの環境観-」と題された大阪大学大学院言語文化研究科準教授(2006年現在)の大村敬一さんの論文です。まずそこで大村さんは、19世紀末から20世紀初頭にかけて探検家や人類学者によって報告された、イヌイトが描いた地図について述べています。そこに掲載された測量図と、同じ場所をイヌイトが描いた地図を比較すると、描かれた河川や海岸線の正確さには驚嘆せざるを得ません。全体のプロポーションを見ると、内陸部の地点の距離など、かなりデフォルメされてはいますが、自分たちがおそらく狩猟などで移動したラインは、その正確さに恐れさえ抱いてしまいます。
熟練したハンターであるイヌイトの一人が描いたペリー湾周辺の地図はB5版に描かれ、一枚では描ききれないため次から次と描き足されている。論文の表現によれば
『地図を描いている最中、そのハンターは、あたかも実際に移動しているかのように、島から島へ、半島から半島へと地図を描きたしていった。』
このような驚くべき知性のありかたをどう考えればいいのでしょうか。
さらに論文では、ナヴィゲーションの基礎となる、季節風によって決定される「絶対方位」と「地名」のネットワークについて記述しています。地名は早口ことばや歌、旅の物語として習得され、熟練すれば、空間的な相互関係をルートのネットワークとして把握する重要な情報となります。その地名は多くの場合、地形的、生態的特徴を意味している。これは北海道のほとんどの地名の起源となっているアイヌ語地名の成り立ちによく似ているのではないでしょうか。
さらに旅の物語には地名の記憶のみではなく、具体的な経験が組み込まれており、こうした旅の物語を語り合うことで、ハンター同士の情報の交換や強化に、さらに子供たちがこの技術を習得するための知識の大事な基礎となるといいます。

 ここまで来て、アボリジニの「ソングライン」を思い出します。ソングラインについては、「札幌・PMFの夏」「千年の響き」などの著者であるノンフィクションライターの谷口雅春さんに教わりました。ブルース・チャトウィンによる「ソングライン」を谷口さんの訳をさらに要約し紹介します。この本には芹沢真理子さんによる邦訳があるようですが、谷口さんによれば永らく絶版状態のようです。
「アボリジニの創世神話によれば、かつて人はすべてのものの名を歌い出した。
歌は地図であり、測定器である。」
「歌によって人は国中を旅し、祖先たちの「夢の跡」を共有する人々と出会い、
歌うことで、やがてそのラインそのものとなり、祖先たちや彼らの歌とひとつになる。」
谷口さんの解説によれば
「sing the world into existence(歌い出すことによって世界を存在せしめる)音韻とともに世界の事物は誕生し、存在し続けるという秀逸なメタファーです。(谷口)」
このように高度で複雑な思考を簡単には説明できませんが、ブルース・チャトウィンはこうも述べています。
『人はおそらくソングラインを、イリアッドとオデッセウスの、スパゲッティのように錯綜した説話として視覚化すべきなのだ。そこですべてのエピソードは、地質学の用語で読み替えることができるものになる。』
よくは分かりませんが、なにか揺さぶられるフレーズです。ご存知のように、アボリジニの人々は「ドリーミング」「ドリームタイム」といった複雑な思考概念を駆使する人々ですから、その文化にしても私などが簡単に理解できるようなものではありません。私にできることは強靭な精神が記述してくれた思考の足跡をおぼつかない足取りでたどり何ごとかを拾い上げることぐらいです。そのような衝撃を与えてくれる一冊に、若くしてなくなった歴史家、保苅実さんの残してくれたラディカル・オーラル・ヒストリー」があります。この一冊は保苅さんが死の直前に書き上げた書物で、せめてもう一冊書いてほしかったという思いもありますが、よくぞこの一冊を残してくれたというべきでしょう。この本にテッサ・モーリス=スズキさんが一つの短文を寄せています。そのなかでモーリス=スズキさんは
『オーストラリア先住民の土地権要求は、単純な経済的要求ではなく(本書 – ラディカル・オーラル・ヒストリー – )に収録されたアボリジニの長老たちの言葉は、そうではなかったことを雄弁に物語っている。(略)アボリジニにとって、土地は「不動産」ではなく、彼ら彼女らの生存とアイデンティティの基盤なのだ』と述べています。

話がそれましたが、
自分たちの生活のための活動とダイナミックな交通の場に対しての高度な科学であり、詩であり、現実認識の道具である、イヌイトのネビゲーション技術、アボリジニのソングライン、そしてアイヌの地名。このみっつの文化を 前にし、そこでやはり風景について考えてしまいます。この人々には風景とはいかなるものでしょうか。自分たちの生活や旅の場所と、自分たちの身体と精神の拡張とそのネットワークだけで直に接して、触れ合い、交感し合う人々にとって風景はどのようにあるのか、私たち(ここで私たちというのは安易にすぎるかもしれませんが)の風景のありようとどうちがうのか、どこかに通底する回路はあるのか、風景写真がめざすもののひとつがそこにあるような気がします。
『さあ、静かな場所を探して、座ってください。静かに。注意を払って。』
「ラディカル・オーラル・ヒストリー」中の「ミノ・ホカリとの対話(テッサ・ 
 モーリス・スズキ)」より
保苅実が、そしてテッサ・モーリス・スズキが提唱している「聴くこと」「注意深くあること」さらに「楽しさ」と「大胆さ」をもう一度学び直さなければならないと思っています。