Snbnsxによる「モレキュラーマニアックス」28/01/2011キオスモズに、黒田喜男が幼少年期に過ごした地山形県寒河江市皿沼と、晩年に近い時期での東京都大田区糀谷の類似性が記されている。信濃川と寒河江川に挟まれた皿沼と多摩川と呑川に挟まれた糀谷の場所性を類推し、山形に、アガンベンの指摘する「対立しあうものの境界線上にある裂け目」を見いだす妄想子(Snbnsx)の妄想は、円環状の思考からまいまいず井戸(詩人吉増剛造氏によって映画化された古代の井戸)に至り、間髪を入れず彼岸へのパサージュたるアフンルパルへ、さらには「量子もつれは時間をも超越する」という物理学論文にまで及び、果てしなく跳躍しつつ深化するが、こういった錯綜を極める妄想子(Snbnsx)の思考を辿る作業は、「モレキュラーマニアックス」をご覧いただきつつ試みられることをお勧めするとして、ここでは別のルートの妄想、別の類似を辿ってみたい。まずは私事から。

 糀谷の北を流れる呑川に沿った池上には、義兄の家があり、東京に滞在する時にはほとんど厄介になっている。呑川左岸の高台にある池上本門寺からは、かつては目前の低地にある糀谷から多摩川まで遠望できただろう。「ある種の土着的混沌性のようなものが感じられる地域」であった改修以前の呑川流域は絶えず川の氾濫に晒されていた。河川は低平地を自由に動き、気ままに溢れる。絶対的外部(岡村民夫)としての川、異界である川は、人々の生活の場を自在にのたうっていたのだ。人々は日常的に異界との混沌のなかに投げ込まれ、異界と出会い、その流れのなかで生きていたのだ。現在の呑川は、河川工事で深く掘り下げられ、要塞のようなコンクリートに固められた排水路と化して、氾濫の危険は大きく回避されている。水は以前より格段ときれいになり、上からボラや鯉(?)、石亀などの泳ぎを眺められる。だがここにも間違いなく異界はある。

 さらに私事。私の生まれた場所である徳島県吉野川市(旧地名は麻植郡)を流れる吉野川中流域に、善入寺島と呼ばれる中州がある。この島の古名は粟島であり、今も昔も農産物の大生産地なのだ。粟という名からも阿波忌部氏(拙ぼさく11/03/2010新忌部紀行も参照ください)との関係が思い浮かぶ。今は無人のこの島に、大正初期まで3000人の人口を持つひとつの村落が存在した。この中州を挟むふたつの川が台風による増水でひとつの川と化す光景を、私は少年期に何度か目撃している。その時川幅は2km近くに達していたのではないか。ここでも呑川流域と同じように、それ以上に川という異界に呑み込まれる状況につねに直面したこの場所で、古代から農耕の生活が営まれていたのだ。そして今も。私の幼少年期の微かな記憶によれば、当時はまだ川も島も異界としての魅惑と畏れに満ちていた。今はどうか。

 先週の土曜日と日曜日の二日間、北海道近代美術館において、川俣正氏による「北海道インプログレス」と題された興味深いレクチャーとワークショップが行なわれた。1979年、その川俣氏と田中睦治氏による、「バイランドByLand」と題されたインスタレーションが、多摩川に架かる鉄橋下で行なわれた。美術手帖によれば、このプロジェクトに関して川俣氏は次のように述べている。

「僕は鉄橋の下は無法地帯でなにを建ててもいいんじゃないかと思っていた。ましてや朝になったら川になってしまうところですからね。川の中州は土地であって土地じゃない、区域であって区域じゃない状態でしょう。」

同じく美術手帖によれば、このインスタレーションは、制作三日目に(旧)建設省河川課より撤去命令が出されている。そこには川俣氏の、川という場所(あるいはそれに架かる鉄橋の下という場所)への感覚的身体的な感応や、現代の河川の異界性のありようが国家による管理状況とともに露呈しているのだろう。

 呑川、吉野川、多摩川と飛び移ってきた「妄想」の島に、か細いイトを繋げて切れないよう気をつけながらゆっくりと張れば、場所の裂け目、裂け目の場所、露呈した場所、などなどが発する、微音や微動を感じとるイト電話となりはしかいだろうか。

川島城跡からの粟島(善入寺島)

川島城跡からの粟島(善入寺島)