3月に中島岳志さんの新著「秋葉原事件−加藤智大の軌跡−」が朝日新聞出版から刊行される。それに先立ち、カフェ・ハチャムで、中島さんのトークショーが開催された。

(中島岳志さんとカフェ・ハチャムについてはカイvol,7の特集「政治思想学者・中島岳志インタビュー」をご覧ください)

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 2008年6月8日、日本を震撼させた秋葉原殺傷事件という犯罪が、勃発する。この犯行は加藤智大という青年によって行なわれた。中島さんによれば、この事件は決して特異なパーソナリティの起こした事件ではないと言う。中島さんは、加藤被告の家庭環境や成長過程を丹念に追うが、それによれば、母親のやや異常なまでの厳格なしつけという点と、両親の不和という環境を除けば、加藤被告の生まれ育った家庭は、恵まれた範疇に間違いなく入る。加藤被告自身も、少年期には学力も高く、身体能力にも恵まれていた。にもかかわらず何故あの、7名もの人命を奪うという比類ない犯罪が行なわれたか。これを分析することはきわめて複雑な、幾つもの要素を解きほぐさねばならず、そこから導き出される問題は、現代社会に遍在している重大な危うさを提示するだろう。

 中島さんの講演を聞きながら思ったことをいくつかあげておきたい。ひとつは、グローバリゼーション化した市場経済に隅々まで覆われ、また、インターネットという、いままで経験したことのない性格のメディアが浸透した、私たちや加藤被告が生きている現代の日本社会では、個人個人が、まったくの丸裸で、無防備なままで、たったひとりで外、社会、あるいは他者と向き合わなくてはならない世界なのではないかということだ。言うまでもなく、私個人には、グローバリゼーションやネット社会を、正確に分析し考察する能力は残念ながら持合わせがない。しかし、加藤被告の抱いていた、犯罪へといたる孤独について、なにかを感じとることは、幾らかはできるかもしれない。なぜなら、加藤被告と私(あるいは私たち)はそれほど違っているとは思えないからだ。近く刊行される中島岳志著「秋葉原事件−加藤智大の軌跡−」を頼りに、ささやかにでもそのことを考えてみたいと思う。

 加藤被告が、犯行に使用したダガーナイフを購入する映像は、YouTubeで見られるそうだ。思えば、つい最近、容疑者が逮捕された目黒区殺傷事件も、逃走する犯人とおぼしき人物の映像が報道されている。その容疑者や加藤被告の、ということは私やあなたの行動は、つねに監視カメラに写され、その映像はどこかで誰かに確実に、管理されている。私たちはつねに一方的な被写体であり、その映像を任意に見ることも消去することもできない。ネットのなかでは、形容しようのないほど大量の、プライベートな写真が流通する。言い換えれば私たちはいくらでも私的な写真を流通させることが出来る。その一方で、一元的な映像が蓄積され、すべての人を監視する、そういう社会に私たちは生きているのだと思う。

 講演の最後に、中島さんは、だからこそカフェ・ハチャムが必要なのだと言う。当日、カフェ・ハチャムは、多くはその近所の、さまざまな世代の人たちでいっぱいだった。

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