札幌美術展での「ミズノチズ」の展示
今日3月3日、札幌美術展での「ミズノチズ」の展示をほぼ終了しました。
ご協力いただいた日通のスタッフの皆様、事務局の皆様、ありがとうございます。このような機会を与えていただいた芸森美術館のキュレーターの吉崎さん、改めてお礼申し上げます。
並べてみると展示方法、プリントなど反省点がいくつか、難しいもんです。でもおかげで次の展示の方法なども明確になりました。
こんなこと言いながらなんですが、札幌市民ギャラリーで、16日までやっておりますので、是非ご覧ください。
今回の札幌美術展は「美術で綴る札幌の歩み」をいうことで、様々な時代に様々に表象された札幌や冬季オリンピックや雪祭りのポスターなどが展示されています。「ミズノチズ」がこの展示の中で、どのような役割をはたすのか(もしかしたら意味などないのかもしれませんが)まったくもってわかりませんが、札幌の歴史ということで思い出すのはつい一ヶ月ほど前、書肆吉成の吉成さんが、
「歴史性を欠いた都市」としてのサッポロに言及していることです。
「サッポロは雑多なものが集合して作られている街です。しかしたとえば長崎や横浜や大阪や函館などの港町のように、雑多のものが集まってモザイク状に住み分けられてダイナミックな力が渦巻いている都市とちがい、サッポロはもっと人工的に均質化されて脱色された都市のように感じられます。(吉成)」
「人工的に均質化されて脱色された都市」というのはほとんど同感ですが(ついでにサッポロとカタカナ表記することにも共感します)、「ミズノチズ」の撮影でサッポロのほんの一部を歩いて感じたことは、この都市はすべての歴史を消去したい意志を持っているのではないか、ということです。
その歴史がなにかと問われれば、すべての歴史と答えるしかないのですが、歴史性を感じさせないことが、この都市のありようであり、逆に言えばそれが歴史性かもしれないと感じます。もしそうであるならその意志とは、あるいは消去したい歴史とは、ということが問われると思いますが、もちろんこれらは私の独善的な推測に過ぎず、これといった根拠があるわけでもありません。しかし、「ミズノチズ」のいままでの撮影もこれからの撮影も、これらの根拠のないもやもやとした感覚をまといつつ行う他ないと思っています。だからこそ消えた川とメムという水先案内を必要だとも言える気がします。