私たちが見ている写真は、写された「何か」であり、写真そのものを見ることはできない、という言い方がある。これに習っていえば、私たちは自然そのものを見たことがあるのだろうか。

もう一年以上前に、構想し始めた写真、何の確信も、根拠もないままに、タイトルだけは「自然史」と決め、数枚の写真を撮った。いわゆる「自然」を撮りたいと思ったのだ。昨年の11月に「イシカリへ」を撮り終え、撮影再開のもくろみの途上、3.11が起こった。しばらくの戸惑いの後、僅かずつ撮影を継続してはいるが、当然ながら、いまだ確信を持ち得ているわけではない。

数日前に『Photographers’ gallery press no.10』が届いた。そこに掲載された論考の一つに、倉石信乃さんの『孤島論』がある。そこで提示されていることの一つは、例えば「琉球弧」といった「連続性のヴィジョン」、「俯瞰の眼差し」によっては掬い上げられないもの、つまり、自然によって孤立した場所としての島という見方の重要性である。倉石さんは「島を、異質な周囲の幅と厚みによって隔てられてある場として、また「外から到来するもの」への感受の場として、もう一度とらえ返す験しが可能だろうか。」と、問う。

撮影対象として想定している場所の一つに漁(イザリ=)川の上流域がある。この流域はその名(icani=その鮭産卵場)のとおり、鮭の有数の産卵場所であり、擦門文化およびアイヌ文化を担った人々にとって極めて重要な場所である。海から上がって山にゆく川からは、鮭が到来し、森からはカムイ(熊)が到来する。北海道大学アイヌ・先住民研究センター編『アイヌ研究の現在と未来』掲載の佐藤孝雄氏の論考『「アイヌ考古学」の歩みとこれから』によれば、この流域のシラッチセ(岩屋)は、近年まで、アイヌ猟師によってヌササンが設けられ、カムイノミが行なわれた。佐藤氏によれば、アイヌと行動をともにした和人の猟師は、その文化の一部を受容し、岩屋を利用したのではないかという。これは「依然として自然の痕跡こそが世界の基調をなしている」ことのを、私たちに示している。

2011_5_15_漁川上流域

 まさに、私たちは、100日ばかり前に、突如として、瞬時に、「自然」によって、あるいは「反・自然という自然」によって、孤立し分断されることを強烈に体験し、今も体験し続けている。その孤立の中での、繋がりを求める試みは、すでにいくつも行なわれているのだろう。3.11以後、「孤島」の内であろうと外であろうと、私たちのすべての行為にその問いが刻印されている気がする。