北海道工業大学建築学科建築展が紀伊国屋書店ギャラリーで行われている
北海道工業大学建築学科建築展が紀伊国屋書店ギャラリーで行われている。
去る26日、同大建築学科、川人洋志教授のオープニングイベントを拝聴する機会があった。川人教授は、郷土(四国徳島)を同じくすることもあり、なにかとご面倒をお掛けしているが、カイの取材での断片的な拝聴(なにしろ写真を撮りながらの盗み聞きなので)以外で、まとまった建築論をお聞きするのは、始めての体験だ。自分で自分への軽い突っ込みを交えたトークは、さすが関西生まれの関西育ち(徳島、京都)と感嘆しつつの、あっという間の一時間だった(多分二時間、いや三時間あっても川人さんは喋り続けていたと思う)。川人氏は、ハイデガーの存在論哲学や道元の禅哲学を援用しつつ、建築を、外に向かう開放的な側面とシェルター的な内的側面を併せ持つ「場」と捉え、そこに持続的な回帰運動をもたらすものだと言う。
ハイデガー哲学などには、とても歯が立たず、無縁の私だが、その疾走するような川人建築論の言葉の流れに身をゆだねていると、秀逸な写真論を聞いている錯覚に陥ってしまう。たとえば、川人氏の指摘する建築の持つシェルター的側面は、写真のフレームを思わせる。シェルター的な側面を持たない建築など存在できないように、フレームのない写真はない。さらには、フレームがあるからこそ、写真は、シュルレアリスム的写真の条件を持ちうるのだ(だろう)。しかし、フレームには、視線の自由な運動やそこに写っている被写体の揺れなどを枠に囲い込んでしまう側面を合わせて持つ。フレームは連続した世界を切りとり断片化するが、それはつねにその外を排除しながらでしか成立できない。写真のフレームは、建築のシェルター的側面より強固な制度なのだろう。フレームにとらわれながらも、その断片から、外に向かう振動を派生させることが、つねに写真の課題なのだとも思う。建築家はどうやってシェルターから外への運動を組織するのだろうか。
驚きと認識の間の回帰運動が、形となり、その場所で「〜がある」ことと「〜である」ことが新たな回帰運動を繰り広げる、そういった建築内の運動、自然や建築という場所とそこに置かれた精神の回帰運動、それらを媒介するのが「光」であると川人氏は指摘するが、写真のさまざまな局面、それぞれの写真の成立の、必須の条件でありまた媒介するものも、言わずと知れた「光」なのだ。光は、私たちの見るという行為とその対象の間に距離をつくり、そこに偏在する。自然と建築と精神の間にあるのも同じ「光」なのだ。建築が日々変化する光に強く規定されるように、写真のあり方も、大きく光のありように規定されている。「建築は写真だ」と言い切る自信はないが、小さな声で「写真は建築だ」くらいは言ってみたい気がする。しかし、写真と建築の決定的な違いは、写真は「〜がある」ということを指し示すだけであるのに対し、建築は「〜である」ことを、明白に主張出来る存在だということにあるのだろう。写真はこのことを背負い続けなければならない。
現在、共働学舎新得農場に建設中の男子寮は、川人氏の設計によるものだ。新得という場所、共働学舎という場所に現れようとしている、持続的な回帰運動をめざした建築がどのような姿で現れ、どのような運動がそこで繰り広げられるのか、「〜である」の〜の部分はいったいなにがあるのか、大きな期待とともにその完成が心待ちにされる。
川人さん、誤解、曲解、ご容赦ください。