東京オペラシティ アートギャラリーでの 『ホンマタカシ「ニュー・ドキュメンタリー」展』東京都美術館での『ジョセフ・クーデルカ プラハ1968』を見る。

ポストモダニズムの文脈で、「ドキュメンタリー」という写真の伝統的価値が批判にさらされて久しい。さらに私たちは、1960年代半ばから今日まで継続されている中平卓馬による、極め付きな強度をもつ「ドキュメンタリー」批判を、提示されている。それは、「イメージのドキュメントがひたすらな美学化を呼び込み、モニュメントに転化されていった事績」(倉石信乃<書評>中平卓馬『見続ける崖に火が・・・』より)への、鋭利な批判であるだろう。

ホンマの「ニュー・ドキュメンタリー」には、実の娘ではない少女の写真にMy Daughterというタイトルを付して提示したり、写真の粒子をシルクスクリーンの網点に置き換えたりといった仕掛けがいくつも施されている。だから「ドキュメンタリー」ではなく「ニュー・ドキュメンタリー」なのか。

Trailsという部屋には、原野らしき積雪の上に、(血を思わせる)赤い色彩が浮かび上がる写真と、赤を使用したドローイングが展示されている。会場で配布された展示マップには次のような説明文が添えられている。「Togetherのシリーズと同じく、野生動物への関心が起点となっている。つまりホンマは知床の地で鹿狩りに随行し、その狩りにまつわる場面を撮影したという。けれども、鹿の姿はいっこうに現れない。そもそも、白い雪の上に残るのは、果たして動物の血なのか、それとも絵具か何かなのか? シリーズに加えられたドローイングによっても、かえってその謎は深まるばかりである」

雪の上の赤は、鮮烈である。鮮烈な(血を思わせる)イメージなのだ。だがそれが、(血を思わせるイメージ)として、見る私に現れたのはいつのことか思い出せない。展覧会を見る以前に与えられた、どこかからの予備知識であることは間違いないのだが。Togetherのシリーズでのイメージとテクストの組み合わせから与えられる、両者の安定した世界と比較すれば、Trailsの世界は、知床で遭遇した濃霧による視界不良の不安のなかに置き去りにされたようだ。

 会場の東京オペラシティビルを後にし、ホンマの撮影したビル群を眺めながら、『ジョセフ・クーデルカ プラハ1968』を見るために、恵比寿に向かう。 1968年8月のプラハ、そこには間違いなく、伝えるべき事態、出来事があったのだ。クーデルカの写真の一枚に、木の根もとに投げ出した自分の足を撮ったものがある。そんな写真家でもあったクーデルカの撮ったプラハの写真は、ドキュメンタリーとして機能し、「巨大な伝えるべき何ごとか」の一部といえどもを伝えたのだ、「自身の足」の写真が、あるいは最良のドキュメントであったとしても。フランク・ホーバットという写真家のインタビューにクーデルカは「写真の哲学には興味がない。興味があるのは限界なんだ」と答える。また、「あれ(プラハの春)は僕の人生の最高点だった」とも答えている。

5月の初旬、映像作家の宮岡秀行さんの上映会をスタジオで行う機会があった。『セレブレート シネマ 101』などを上映してもらったが、京都への帰路、東北地方の被災地に立ち寄り、その時の様子を宮岡さんはメールで知らせてくれた。「なにかを書くと遠ざかっていくような旅…旅をしているときは お風呂も宿もとりません(だからメールも読めない車中泊です) 被災者の最初の数日間を追体験するかのように「耐える旅」をしたいと思いました 自分の内面は灰色めいた砂色のイントネーションで いまも満たされています 」

さらにこうも書き記す。「AERAの震災臨時号を旅先でめくり 現実の目でみた風景のスケールとの違いに悩みます写真の美しさゆえに人々は震災への苦痛よりも 震災への興味を呼び起こされてしまう 最終的に「賛美」することにもなるのか と…」

何かの事態を伝えるために写真を、映像を撮り、何かを伝えることは必要なことだろうし、正当なことだ。また、そのこと自体を問いなおすことも、間違いなく必要なことなのだ。そして問いかけの位置のとり方は無数にあり、それを探り当てるには、身を挺してて探るしかないのだろう。